とことこカメさん ~12900㎞先へ行く~

青年海外協力隊。H28-2次隊小学校教育隊員としてカメルーンにて活動中。

医療職でない自分が命のためにできること

 2016年10月21日

 

ちょうど今日からちょうど1ヶ月前です。

それは私が初めて任地を1人で訪れている最中に起きました。

 

前日に配属先への挨拶を済ませ

この日は午前中に学校に挨拶回り。

早く終わったので町の様子を知ろうとマルシェを散策♪

地元の人たちに「2年ここに住むからよろしくね!」と

おじゃべりをし、町にはやさしい人が多いと感じ、

これからこの町に来ることに大きな期待をしていました。

 

用が済んだら大家さんに連絡するように、

配属先の上司に言われていたので

電話を取り出すがマルシェの方は電波がなく…

そろそろホテルに戻ろうかと歩いていた時のことです。

 

 

 

プワーッ!という高い汽笛とともに

列車が止まりそうにもない勢いで線路の上を通過していきます。

 

まるでスローモーションの映像を見るかのように

先頭の数車両がまっすぐ通過していったかと思うと

後ろの車両が切り離されたかのように

ゆっくりと雪崩れるように倒れ

列車が線路の柵を剥ぐように横になりました。

 

呆然と立ち尽くす私と

たまたま隣にいて顔を見合わせた地元の女性。

「きゃー!」とも「わー!」とも言えない悲鳴を上げて

列車のほうへ走っていきました。

 

同時に多くの人が列車のほうへ向かうべく

駅の前の坂を駆け上がります。

 

町中のバイクタクシーが瞬く間に

駅前に集まり始めました。

 

とりあえず事務所に連絡しなくてはと思う自分。

しかし、電波がない。

 

とにかく何か助けることができないかと思う自分。

野次馬と化している人が多い中、駅の真ん前まで向かいました。

 

言葉が分からない

何をすればよいか分からない

何より肌の黒い人が多い中1人だけ白くて目立つ

 

手助けに入る警察や病院関係の人たちや一般の人たち

その場で泣き崩れる人たち

今から電車に乗る予定が崩れ、途方にくれる人たち

ひたすらスマフォやタブレットで写真を撮る人たち

 

そんな人たちの間をただ彷徨い

「何かしなくては」と思う自分。

 

頭から血を流し身動きのとれない女性が運ばれる。

 

まだ電波はない。

 

何かしたい。

命を助けるためにできることが何かあるのではないか。

 

連絡しなくては。電波はない。

電話持っている人に何人も尋ねる。

私もないと同じように困っている人。

 

電話しているところを見かけ、

また声をかける。

私も借りているのと聞く。

 

若い男の人だったと思う。

電話を借りて調整員に電話をする。

 

連絡はついた。

 

でも、現場の騒然とした様子は変わらない。

バイクタクシーがある程度軽いけが人を病院へ運ぶ。

 

公共交通機関のバス

インターネット会社の車

荷台の大きなトラックに

けが人が乗り、運ばれる。

 

「君も中にいたのか?」と心配の声をかけてくれる何人もの人。

行先もなく、何ができるわけでもなく、途方にくれる自分。

 

どのくらいたったかよく覚えていない。

 

連絡できない怖さから

その場で人の助けを借りて

電波の通じるネット会社のSIMを買った。

 

けが人を運ぶバイクタクシーが

道路を行き来するのを横目に

あまりにも喉が渇いたので

ブティックでジュースを買う。

 

喉は潤った。

罪悪感しかないファンタオレンジの甘い味。

 

結局何もできずに、ホテルに戻った。

 

夕方大家のマダムと連絡が取れて

ホテルの裏の病院へ向かった。

 

町で唯一の病院。

泥まみれで草むらに横たわる人たち。

 

ベットも薬も足りていない。

枠しかなく使えないベットもある。

 

血を流して倒れている人たち。

まだまだ運ばれてくるけが人。

 

何もできなかった。

ただ、ただ、悔しかった。

 

 

 

 

次の日バスで何とか首都に帰り

ドミで待っていた先輩から

Yahoo!のトップニュースにもなっていたことを知らされる。

 

ようやく家族に連絡ができた。

 

とにかく情報が欲しかった。

何が起きたのか、何が原因なのか

どのくらいの人が被害にあったのか

ただ知りたかった。

 

出国前に連絡を取った日本にいる先輩隊員から

無事を確認するメッセージがあった。

死傷者はその時点で50人程度。

次の日起きると70人に増えていた。

www.cnn.co.jp

 

 

事情を知らなかった家族から

地方新聞にも記事が載っていたと連絡が入る。

 

 

最近、町の人と話して、

事故の原因が

過積載と車両のブレーキの欠陥とようやく知った。

 

自分が見たものより

もっと悲惨な現場の写真も見せてもらった。

 

事故から1か月、追悼の思いで

駅へ向かった。

同じような思いで

駅に数名の人がいた。

 

思わず手を合わせた。

 

配属から2日目にも駅へ行った。

 

事故当日は知らなかったが、

後続車両が谷に落ちていた。

 

すべての車両は引き上げられた

と、マルシェであったおじさんに聞いた。

 

現状を伝えたい。

けど、写真を撮ると捕まると聞いたので

撮れなかった。

 

 

きちんと心に留めて

忘れないでいたい。

 

 

 

私は医療職ではない。

直接命を助ける術を知らないし

間接的に命を助けることもできない。

 

私はこの事故を目撃したただ一人の日本人である。

そのことは一生変わることはない。

 

町が受けた傷は大きい。

この町はただの通過点に過ぎなかっただろう。

 

教育で病気を予防することは可能かもしれない。

でも、事故が起きてしまったら何もできない。

 

 

だったら私の仕事には何の意味があるのだろう?

 

この町を明るくするために私ができることは何だろう?

 

 

失われてしまった多くの命と共に

2年間このエゼカの町で過ごす自分の役割を考えたいと思う。

 

 

 Je déplore le décés des personnes Camerounais.

 

 12.9時点のエゼカ駅。

うっすらと見える車両は事故後から置かれたまま。(12.15追加)

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最後までお付き合いいただきありがとうございます。

 

 

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